ちょっとこの2年間を振り返ってみたいと思います。
内容は、大きく分けて研究のことと研究生活についてです。
まず研究について。
振り返ってみて量子情報の研究を選択してよかったと思っています。
それはこの研究分野がちょうど過渡期にあるからです。
自分が悩んでる部分があると、すぐに論文の一部に書かれてしまって
正直「やべぇ」と思うことが何回かありました。私は大学院修士で
大学生活を終えますが、もしこの研究でメシを食べている状況にあった場合、
明らかに他人に負けているので、職を失います。
就職してからは他社との競争になり、「スピード」と「知恵」が必要になってきます。
どちらも他社に負けるわけにはいきません。知恵については差別化の意味です。
スピードを重視して他者と差別化しなければ価格競争に巻き込まれて
不毛な戦いが生じる恐れがあります。これを避けるために、自分の商品を
いかに「高く」売るかが重要になってきます。そこに知恵が必要なのです。
もしいい知恵が思い浮かんだとしても、きっと他社の誰かも同じことを
考えているはずなので、やはりスピードが大事もなってきます。
大学の研究は得てして、知恵は絞るがスピードは重要視しない傾向にあります。
産学提携やその研究の最先端を行く人は別ですが。
その大学の研究において前述したようなことが自分の中で教訓かできたことが
よい経験であると思います。
つぎにアカデミックな研究を通して得られたことについて書きたいと思います。
一言でいうなれば
「数学は一つで、意味は無限」
です。
物が動けばニュートン力学で記述でき、量子についてはヒルベルト空間論で
記述できます。画像については線形代数で議論します。あとは信号処理の
分野で使うような議論ができれば、どんな分野にいこうともびびることは
ないかなぁと思っています。(あとはプログラム力かな)
つまりアカデミックな技術の本質は数学だということです。
数学の理論体系は一つでありますが、それの意味する物理現象は
無限にあります。これは当然のことですが、これがわかっていれば
問題にぶちあったときに、純粋な数学の教科書に戻って、考え直す
ことができます。
次に研究室生活について思いついたことを書いてみます。
まず「がんばっている」ことは主観的であり客観的ではないということです。
人間なので基本的にがんばることはいいことだと思います。
ですが、がんばることが高評価に繋がるのは学生までだと思います。
例として私の中学のときの野球部のときのお話をします。
私の先輩にレギュラーがとれず常に補欠の人がいました。
ですがその人は部活をサボることなく毎日練習をしていたので、
先生はそれを評価して毎試合ではありませんが、試合に出してました。
学生部活というのはそれ自体も教育の一環であり、たとえものすごい
うまい選手だとしても、日ごろ練習に参加しなかったり、基本的な
礼儀ができていないと、試合には出させてもらえません。
しかし、社会人として世の中にでたときはどうでしょうか。
私はまだ学生なので実際のことはわかりませんが
研究を通して予想してみます。
卒業研究はがんばれば単位がとれます。しかし修士研究は
がんばるだけでは修了できません。外部に発表する必要が
あるからです。どんなにがんばっても結果を出すことが求め
られます。「がんばること」は「結果をだすため」の必要条件
ではありますが、十分条件ではありません。
違う目線で考えるセンス、世の中のニーズなどを敏感に
感じ取れるセンスというのでしょうか、その類のセンスが
必要なんだと思います。人と同じこと、つまり論文に書かれて
いることを理解して自分の環境下で実際に行うことは
「がんばれ」ばできます。しかしそこから個性的に発展
さえたり、または新しい研究内容を見つけるためには
センスが必要です。
では、そのセンスを磨くためにはどのようにすればよいのでしょうか。
それは「がんばること」が結果に繋がらないことを認識することでは
ないのでしょうか。泥臭く考えることも必要ではあるが、それだけでは
不十分なので違うことに目を向け視野を広げる必要があるということです。
ここで誤認識を避けるために言っておきますが、「がんばること」を
否定しているわけではありません。センスを磨いて問題点を見つけたとしても
それを解決するためにはやはり「努力」が必要です。努力することでも
センスは磨かれて、同じ仕事をするにしても、努力を積み重ねれば、
最初は1ヶ月かかっていてのが、そのうち1週間でできるようになっている
かもしれません。それは努力することによって仕事の本質を見出す
センスが磨かれた証拠です。
まだまだ頭を整理すればいろいろかけるかもしれませんが
疲れました(笑)
このブログを読んでいる方、何かコメントがあればお願いします。